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猫を抱いて象と泳ぐ 小川洋子

盤上遊戯、ボードゲームと呼ばれるものは、結構たくさんある。

将棋、囲碁、チェスなどが代表的なところだろうか?

個人的に、これらを扱った小説や漫画にとても惹かれてしまう。とは言っても、物語に惹かれているのであって、実際にプレイすることは無いのだけれど……。

チェスにいたっては、ルールも駒の動かし方もほとんど知らない。まぁ、相手のキングを倒したら勝ちなのだろう、という程度。

そんなチェスをテーマに書かれた、小川洋子の長編小説『猫を抱いて象と泳ぐ』(というタイトルがそもそも最高である。)

チェスと出合った少年の数奇な人生。

それは、誰も教訓を得ることのできない寓話のようであり、その代わりと言ってはなんだけど、何かをそっと抱きしめたくなるような物語。

マスターと少年の交流は、何度読んでもやさしい気持ちになる。

わたしは何故、盤上の物語に惹かれるのだろう?

この種のゲームに共通している要素は、相手の手を読み、先の先を読むという行為。

これはコンピューターのような思考回路を想像してしまうけれど、実はそうでもないような気もする。

対局中のプレーヤーの思考の流れや感覚。その比喩としてよく使われるものに、自然宇宙などがあり、また深く潜るなどの表現がある。

これらは、チェスの『猫を抱いて象と泳ぐ』に限らず、他の将棋や囲碁などを題材とした小説や漫画の中でも使われていたので、何かしらの普遍的なビジョンなのかもしれない。

言葉にできないことを言葉で表現する。

ある意味、とても文学と相性の良い題材ではないかと。

ルークでa3のポーンを取った。と説明されても素人にはピンとこないし、絵的に間が持たないというか……。

作家の想像力と比喩表現のバリエーションを楽しめる。

それが、このジャンルの物語に惹かれる、一番の理由であるような気がする。

チェスにも、数字とアルファベットで書かれた棋譜(きふ)というものがあり、これを読める人は対局の軌跡を見ることができるようである。

そして、わたし(素人)も小説を読むことによって、棋譜を読むことのできる人が感じている(と思われる)、美しい棋譜というものを、想像することが可能となる。

作家が、自然、植物、動物などの素敵な比喩表現を使って描写してくれることによって、対局者が味わっている(ように見える)、感動を体験できるようになる。

どちらかと言えば、数学的な道筋を辿っているはずのゲームが、どうして詩や文学の領域に近付いていくのか?

数学、科学、芸術、宗教、宇宙。まったく違う分野でも、極限まで突き詰めると、なぜか皆似たようなことを語りはじめるような気がする。

『猫を抱いて象と泳ぐ』を読んで、そんなことを考えた。

とても美しく、とても興味深いことである。

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