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私という運命について 白石一文

運命が見えなかったのか。それとも、見ようとしなかったのか。

基本的にはリアリズム小説なのだけれど、時折ほんの少し非現実的な側面を見せる。

奇妙な符号、見えない絆、直感と予感。

それらは単なる偶然や、ただの思い込み、解釈次第でいかようにも受け取れる出来事なのかもしれない。

しかし、そこに運命という言葉を持ち込まれると、何やら抗うことのできない強い力を感じてしまうから不思議なものである。

『私という運命について』 というタイトルが示すように、この小説では『運命』というキーワードが繰り返し何度も使われ、主人公もそのことについて考え続ける。

そこに何らかの意味を見いだすために……。


愛してくれる人を愛することと、愛している人に愛されることと、それはどこがどう違うのだろう



二十九歳の主人公が、昔交際していた男から奇妙な頼みごとをされて、動揺するところから物語は始まるのだけれど、その原因がちょっと予想外の方向からのもので、これが後々まで続くこの小説独自の雰囲気のベースにもなっている。


人は自分が見たいものを見て、そうでないものは目に入らない。

自分の意思で選んだことと、そうでないこと。そこには大きな違いがある。

しかし面白いのは、矛盾するようだけれど、どちらであってもそれが何かを信じる根拠になり得るということ。

結局のところ、どうやって折り合いをつけ、どのように自分を納得させていくのか。言ってしまえばそれだけの事なのかもしれない。

しかし、それは振り返ってみて初めてわかること。今を生きるということは、その渦中にいるということで……。

だからこそ人は悩み、迷い、そしてふと、運命という言葉を思い浮かべるのかもしれない。



『私という運命について』では物語上、月単位、年単位での時間経過という省略があるのだけれど、長編小説としてこのあたりの構成が見事だと思う。

空白の期間に起こったことをわずか数行で補足してみせるテクニック、逆に書かないことで想像させる効果。主人公の人生の転機というものに焦点を絞りつつ、十年という時間が持つ重みのようなものも感じられる。

また、物語の節目で使われるいくつかの手紙は、この小説のハイライトと言っても良いものであった。



過去にならないとわからない、人生の起伏。

答えの出すことができない問い。

自分で選び取った人間が使う運命という言葉と、抗えないものとして受け入れる人間が使う運命。

意外なことに、どちらも強い人間という印象が残る。


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