生存制限法(通称:百年法)
不老化処置を受けた国民は
処置後百年を以て
生存権をはじめとする基本的人権は
これを全て放棄しなければならない
タイトルとあらすじから想像していたよりSFっぽくなかったな、というのが個人的な感想。
その代わりと言っては何だけど、エンタメとして抜群におもしろい。
SFとしての設定、最新の科学技術や細部のリアリティに魅せられたというよりは、予測できないストーリー展開によって小説の世界に引き込まれ、結果的にすべてがリアルだと感じる。
物語に夢中になるという、とてもシンプルな方法で説得されたような気がした。
この小説で扱っているのは50年、100年という長い時間と、人間と国家である。
そして、そのスケールの大きさに耐えうる内容。
なんといっても、百年法の施行をめぐる政治的な攻防から物語が始まったのは秀逸。私なんかはここでガッチリと心を掴まれてしまった。
『百年法』を読んで再認識したのは、小説であることの強み。
それは言葉によって構成され、明確なビジュアルがないということ。
『百年法』に登場する人物の多くが不老化処置を受けており、その外見は若者である。しかし、そんなことを言われても、私がつい思い浮かべてしまうのは、自分の個人的な記憶やイメージ。
たとえば、内務大臣の友成靖隆という人物。
記録上は百十七歳。肉体的には二十歳。しかしその仕草やセリフから私がイメージしたのは、完全にしわだらけの老人。テレビでよく見かける政治家の顔を思い浮かべてしまった。
けれども外見は若々しい二十歳なのだ。
この微妙な感覚は、漫画や映像では得られないのではないだろうか?
もしもこの小説に挿絵がついていたら、それは想像力を制限することになると思う。
こんなことが(頭のなかで)成り立つのが小説の醍醐味。
登場人物たちは外見こそ変わらないけれど、その内面は当然のことながら、年齢を重ねるごとに確実に変わっていく。
老化しないことによって得られる、人生に飽きることすら可能な時間。
時代、情勢、立場によって変化していく善悪の基準。
読者の視点としては、お気に入りの登場人物が1部と2部では、完全に入れ替わってしまったりという楽しさもある。
我々が知っている日本と同じなのは1945年まで
この小説が描くのは1945年以降、少し違う道を歩んだ日本という国家。
しかし架空であり、近未来でありながらも、連想されるのは現在の日本。
作中に登場する無責任な政治家、問題を先延ばしする国民性、テロリズム、拒否者のコミュニティー、下層労働者のユニオン。どれも元をたどれば、心当たりがある。
4部構成、西暦2098年までの激動の時代を、老化しない登場人物たち(当然なかなか誰も死なない!)が最初から最後まで見届けるというのが、ちょっと異様でもあり、なんとも魅力的。
賛否ありそうな終盤の怒涛の展開も、個人的には腑に落ちるものだった。
生命のリアリティを失い、代謝の行われなくなった日本。
架空の物語だけれど、現在進行形の日本であると言えるかもしれない。