夜通し歩く学校行事『歩行際』
いくつかの青春小説と呼ばれるタイプの物語を読むことによって、自分にも青春時代があったのだということを、少しずつ認識してきたような気がする。
そして、それはもう過ぎ去ってしまったということも。
残念ながら、大人になってからの認識であるけれど……。
恩田陸の『夜のピクニック』はそんな青春小説の中でも、個人的に最後の止めを刺されたような作品である。
具体的に言うと、小説に登場する若者たちに対して、共感よりも、羨ましさや嫉妬にちかい感情が勝ってしまったことが、私にとってのボーダーラインだったような気がする。
もちろん、大人になってからでも素敵な経験、新しいチャレンジはできる。
しかし、それはそれ。悲しいかな、青春とはまったく別の話である。
高校生の彼らは、どうしてこんなにも素晴らしい一日を過ごすことができたのだろう?
なにか特別なマジックがあるのではないか?と理由を探してみると、行き着くところは、やはり歩くという行為。
『夜のピクニック』では【歩行祭】と呼ばれる、24時間夜通し歩くというかなり奇妙な学校行事が重要な役割を果している。
役割というか、この歩行祭という距離や時間が含まれた箱の中に、テーマやエピソード、もっと言うと物語がまるごと入っている、そんな印象すら私は受けた。
その中で主人公がした、小さな、ほんとうに小さな秘密の賭け。
経験不足、未熟なのは当り前。いろいろなことに過剰に反応しがちな思春期。
彼らが長距離を歩くことによって得られたものは、もしかしたら、一歩ずつ目標へ向かって進む大切さ以上に、心と身体がつながっているという実感なのかもしれない。
疲労とともに減ってくる会話。
シンプルになっていく頭の中。
そうして表れた、変化の兆し。
私たち読者もいっしょに、24時間かけて【歩行祭】の中で移動していく感覚。
読み終わった後に感じた心地よい疲れは、間違いなく小説の力と言って良いものであると思う。
過去に戻って、もう一度やり直せるとしても、私は同じ選択をするだろう。
そんなカッコいいことは、とても私には言えない。
もしも、あの時……。
虚しいだけなので、なるべく考えないようにしていること。
登場人物のひとりが、ずっと近くにあったのに読まずにいた本について、なんでもっと早く読んでおかなかったのだろう。読んでいれば今の自分を作るための何かになっていたはずだ。と後悔するシーンがある。
私も『夜のピクニック』という小説を読みながら、同じようなことを思ってしまった。