日本的精神の至高の境地
ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ヘル。
上海生まれ。国籍、年齢不明。
第二次大戦中の日本で五年間、囲碁の棋士に師事。
終戦後、占領軍通信センターで通訳の職を得る。
東京巣鴨拘置所で三年間の独房生活を経験。
のちに最高ランクの報酬を得る暗殺者となる。
孤高の存在 VS 巨大組織
四十年も昔に書かれた小説とは思えない、というのが率直な感想。
その要因は、普通のスパイアクションにとどまらない普遍的、哲学的なテーマが根底にあること。
それから、あまり嬉しくもない図式が現代でも通用していること。すなわちアメリカ合衆国と石油利権。
これって四十年も前からの定番だったのかと……。
さらには、意外と古びない作中に登場するガジェット。
CIAをも牛耳る組織、マザー・カンパニーが使用するコンピューター【ファット・ボーイ】が個人情報を丸裸にしていくところなどは、現代のNASAの情報収集システムに通じるものがある。
多すぎる情報量を持つコンピューターから最良の結果を引き出すために、人間側の技量が問われるというのは、いま読んでも非常に興味深い。
【ファット・ボーイ】はたまに誤訳することもあり、なかなかの愛嬌がある。
トレヴェニアンの作品は世界中に読者がいるけれど、『シブミ』に関しては日本人ならではの読み方というか、特権が楽しめるのが魅力。
ツッコミどころの多い、おかしな日本文化を書く海外小説は結構多いけれど、『シブミ』は安心して読むことができる。
上巻と下巻で、感想にテンションの差がある人が多いのも、日本ならではなのかもしれない。個人的には、日本文化や囲碁と同じくらい、バスク文化とケイヴィングも重要な要素だと思ったけれど……。
小説の中で繰り返しシニカルに批判される、アメリカやヨーロッパ諸国。
その切れ味は読んでいて痛快だけれど、日本は人種的に含まれずとも、もはや社会システムとしてはその批判の対象である。そう思うと、なんとも言えない気分になる。
ニコライ・ヘルは戦後、急速にアメリカニズムに染まってしまったことに失望し、日本を離れる決心をしたとされている。
囲碁によって磨かれた抽象的な思考能力。
怒りによって失った無我の境地と、新たに獲得した近接感覚。
一般的な部屋であれば、ニコライ・ヘルが凶器として使用できる物がおよそ200あるとされる暗殺術に関しての描写は、とても少ない。(ストローで人を刺し殺せるらしい……。)
このあたりのことについて、小説の中に反則的な注釈が差し込まれているのが、ある意味とてもリアル。
『シブミ』に書かれているのは、ニコライ・ヘルが暗殺者になるまでと、引退後の最後の仕事について。
このアクションシーンの少なさをどう捉えるかが評価の分かれるところかも知れない。
もちろん、私は圧倒的に支持する。