エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)
アウトドアに興味が無くても、山登りをしたことが無くても、聞いたことがある人は多いのではないだろうか?
【何故あなたは山に登るのですか?】
【そこに、山があるから】
登山家、ジョージ・マロリーのとても有名な言葉である。
ただ目の前のことに無心で取り組む。
言葉に深みがあり、まるで禅や哲学の響きさえ感じる名言。
しかし何年か前に、この言葉がちょっとした誤訳だったと知って、私はとても驚いた。
がっかりした、と言った方が正確かもしれない。
その後、この『神々の山嶺』という小説を読んだことで、その言葉のニュアンスの違いを理解することができたような気がする。
【何故あなたはエヴェレストに登りたいのですか?】
【それが、そこにあるからさ。】
身も蓋もない言い方だけど、彼らにとっては家の近所にある山に登るなんて、まったく意味の無いことなのである。
世界最高峰、前人未到、人類初
そこには明確な目的があり、プライドがあってエゴもある。
だからこそ成り立つドラマというものが、そこにはある。
1924年、人類初のエヴェレスト登頂に挑戦し、行方不明となったイギリスの登山家ジョージ・マロリー(1999年に遺体発見)。
【マロリーはその時、エヴェレスト登頂に成功したのか?していないのか?】
そんなヒマラヤ登山史上、最大のミステリーから物語が始まる。
1993年、ネパールの首都、カトマンドゥの道具屋で古ぼけたカメラを手に入れた、カメラマンの深町誠。
それがマロリーの持っていたカメラかもしれない可能性に気付いた深町と、その謎を解くカギとなる孤高のクライマー、羽生丈二。
羽生の過去を調べ始めた深町。その視線を追うようにして、物語は羽生丈二という男の半生へと中心を移し、大きく動き始める。
自分は、それをやる、最初の人間になりたいのだ。
これは、強さの中に含まれる弱さなのだろうか?
極限までにストイック。それに矛盾するかのような野心、子供のような身勝手さ。理解不能な執着心と、狂気としか思えない情熱。
何故、山に登るのか?
読んでいるだけで感じる、寒さや空腹感。足元を想像し、思わず鳥肌が立つような断崖絶壁。
そんな山岳小説に欠かせないリアリティーは、物語の終盤、6000メートル、7000メートルと標高が上がるにつれ、描写に凄みが増していく。
それは、聖域に近づき、神懸かってくると言っても過言ではない。
そうして行き着いた限界。右足と左足を交互に動かす事しか考えられない極限状態において、実は誤訳であるところの【そこに、山があるから】の境地に辿りつくのではあるまいか?
と、登山経験ゼロで高所恐怖症の私は、震えながら想像することしかできないけれど……。
登場人物それぞれの山に登る理由が、そこにはある。