『邂逅(かいこう)の森』
一時期、山岳小説(というジャンルなのかな?)を片っ端から読み漁っていた時期があったが、そのきっかけとなった一冊が熊谷達也の『邂逅の森』である。
この小説を読み終えてからしばらくの間、「同じ感動を……。」そんな無い物ねだりをして、冬山を求めて彷徨ってしまった。
(しかし、その過程で沢木耕太郎の『凍』や、夢枕獏の『神々の山嶺』と出合ったので無駄では無かったはず……。)
私が小説を読んで徹夜をするのは、一年に一回あるか無いかという程度。あったとしてもミステリー小説で、犯人や真相が気になってしまい、というタイプの徹夜。
しかし『邂逅の森』は、キリのいい所で本を閉じて就寝と思っていたのに、あまりの面白さに脳が興奮して眠れなくなってしまい、そのまま徹夜して全部読んでしまったという滅多にない小説である。
小説の目次がそのまま、あらすじ紹介になると思う。
『邂逅の森』
第一章『寒マタギ』/第二章『穴グマ猟』/第三章『春山猟』/第四章『友子同盟』/第五章『渡り鉱夫』/第六章『大雪崩』第七章『余所者』/第八章『頭領』第九章『帰郷』/第十章『山の神』
はじめて読んだ時は、序盤からスカリ(頭領)、ブッパ(射手)、サジトル(死ぬ)など、山言葉全開の狩猟シーンに圧倒され、物語に引きずり込まれるようにして一気に最後まで読み切った。
明治、大正から昭和初期まで。マタギの風習、村社会の掟。近代化、戦争という時代背景で変わりつつある自然と山と人の関係。
秋田の寒村に生まれ、マタギとして生きた男の波乱の生涯。
直木賞と山本周五郎賞、ダブル受賞も納得の傑作!そんな気分であった。
しかし時間を置いて再読してみると、なかなかどうして、女の物語でもあるのだという感想を抱くようになった。
十代で嫁に行くのが当たり前、夜這いが因習として残る村、貧しさ故の身売りがあった時代の話なので、現代の感覚からすると、女性の扱いがはっきりとよろしくないと感じてしまう。
しかし、そんな中でも彼女たちの「強さ」や「優しさ」や「したたかさ」などは、ちょっと感動を覚えるほどの不思議な魅力がある。
喜怒哀楽をグッと飲み込んで(まれに爆発させて)、たくましく生きる女たち。
クマやアオシシ(ニホンカモシカ)などの獣が登場するけれど、実のところ動物としての人間が、良くも悪くも真正面から描かれている小説ではないだろうか?
その体臭すら漂ってきそうな、男と女の力強くむき出しの生きざま。
男のロマンがあり、同時にそれを「くだらない」とも思わせてくれる圧巻の小説。
個人的には鉱山という、まったく異質な山がストーリーに組み込まれていたことが興味深かった。
山と獣と人
小説の登場人物たちの神や宗教、自然に対するスタンスは、現代や都会で生きる人間とは、根本的に異なるのだということを強く感じた。
しかし同時に、現代人であっても長いあいだ自然の近くに身を置いて生活し、畏怖や畏敬の念というものを体感するのであれば、後天的にそういった感覚が身に付くのではないだろうか?そんなことも考えたりした。