蝦夷地を知り尽くした男、間宮林蔵
冬になると読み返したくなる。
北海道生まれの漢(オトコ)としては、外すことのできない一冊。
元々、北海道の歴史やアイヌ文化には興味があり、自分の故郷も作中に登場していることもあって、特別な思い入れのある小説である。
北海道がまだ蝦夷地(えぞち)と呼ばれていた頃。
「日本は陸奥(青森)まででいい」
そんな意見すらあった時代の物語。
樺太(サハリン)が島であることの発見や、伊能図(日本地図)作成にも大きく貢献した実在の人物、間宮林蔵が主人公。
探検家、測量家であった間宮林蔵の、幕府の隠密としての活動や、密告などのネガティブなイメージを逆手に取ったキャラクター造形とストーリー展開は、極上のエンターテインメントに仕上がっている。
元々は普通の人間だったかもしれない男の、後天的に身に付けたような人格。厳しい自然から学んだことを応用した物事の考え方。
知識を消化して、知恵とする。しかし知的と呼ぶには、あまりにもタフ過ぎる男。
間宮林蔵の主人公でありながらのアンチヒーローっぷりには、思わず引き込まれてしまう。
主な登場人物は、武士や公家、商人に漁師など、その身分も立場もさまざま。
それぞれ自分の属する世界に縛られながらも、北の大地と海、そして冬に、ひとりの人間として解放され、魅せられていく。
ほとんどの日本人が世界地図というものを見たことがない時代に、日本という国の小ささを知った男たち。
彼らが抱える、使命や野望。夢と鬱屈。
蝦夷地を知り尽くした男をめぐって、それぞれの思惑が交錯する。
『林蔵の貌』では、自然環境(特に厳冬期)が果たしている役割は大きいと思う。
蝦夷地の冬、そのさらに北にある極寒の地。そこに登場人物たちを放り込むことによって得られる(ハードボイルドな)リアリティ。
一瞬の判断の迷いが死に直結することになる場面。
そこでは、食べものを食べるという単純な行為だけで、読者の意識を強烈に『生』というものに向けさせることができる。
また、登場人物それぞれの冬という季節の捉え方が、そのまま個人の性格や人生観を表しているのも興味深い。
この環境が果たす役割には、北方謙三が作家としての活躍の場を現代から、時代小説、歴史小説に移した理由に近いものを感じる。
それまでの北方作品の傾向である特定のタイプの登場人物(刑事やヤクザ、アウトロー)への偏り。それから、人が暴力に至るまでのプロセスの描写と、現代の日本で銃器が登場するために必要な背景。
それら制約からの脱却。より自由に書くための歴史という舞台。
『林蔵の貌』において、それは男たちが小さな世界から解き放たれ、躍動するための舞台としての蝦夷地である。
個人的には、男が男に惚れこむなどという友情を正面から書いてきた北方謙三のスタイルが、自分にまっすぐ届くようになったのは、歴史や時代物を書きはじめてからのような気がする。