流転の果てに辿り着いた場所
小説のスタイルの一つとして、物語の始めに現在の状況をある程度明かして、それから過去が語られるという手法がある。
良い作品もあれば、それ程でもない作品もある。しかし、良いものはびっくりするくらい良い小説である確率が高い、と私は考えている。
その理由はおそらく、結末を示唆することによってハードルを上げ、それを乗り越えてみせる。それだけの中身があるということではないだろうか?
それは作家の自信の表れであり、良い物語が書けたからこそ、冒頭に現在や結果を持ってくることができるのではないか?などと、私は勝手に推察している。
いったいどのようにして現在に至ったのか?
そんな思いで読み始めた『ラブレス』という長編小説は、個人的には間違いなく当たりであり、びっくりする程の良い小説であった。
現在の北海道釧路市から始まる物語は、『ラブレス』というタイトルから何となくイメージしていたものからは、ずいぶん遠く離れた、昭和二十五年の標茶(しべちゃ)町から物語が始まり、そのストーリー展開に一気に引き込まれる。
そこにあったのは、あたりまえのような貧しさ、アルコールと暴力の影。諦めと静かな絶望。
そんな時に見つけた小さなチャンス。
自分だけの価値観を持つということ
己を頼る、地に足の着いた生き方と、流れに身を任せ、転がるような生き方。
ひとくちに強さと言っても、本当にいろんな種類の強さがあるのだと。
弱さについても同様のことが言えるのかもしれないけれど……。
母娘、姉妹、従姉妹。現在のパートに登場する娘たちはもちろんのこと、『ラブレス』に登場したあまり好ましくない登場人物にさえ、おそらくはそれなりの物語があるはずと想像してしまう。
女性としての生き方、その共通点よりも違いのほうが目に付く。しかし、つながりを感じずにはいられない。
家族というものを、親であっても子であっても、ひとりの人間として客観的に見ることの難しさ。
娘からみた母親と、母が主人公であるその人生。そこにあるギャップ。
それぞれの事情が見える読者として感じるもどかしさ……。
この小説の中で流れるおよそ60年という時間。それは、愛情や絆や親しみ、それらの感情と行為が人と人の間に行ききし、すれ違いや別離を経て、ひとまわりして元に戻ってくる。そんなことすら可能な時間。
ひとりの人間の一生を濃密に描くという、長編小説ならではの醍醐味を味わい、静謐で鮮やかなラストに唸る。
その人の人生が幸せだったか否か、いったいどのようにして決まるのだろう?
人生全体か?その終わり方なのか?
それとも、どこかの時間を切り取って判断しても良いのだろうか?
懐かしのヒット曲が小説の中に登場しても、いまいちピンとこない事が多いのだけれど、『ラブレス』の中で歌われる楽曲には、リアルタイムで聴いてないにもかかわらず、不思議と心打たれるものがあった。