東野圭吾作品の個人的ベスト3に入る傑作
プロローグとエピローグ。
この二つの短い文章の中で展開する、とある奇跡の物語。
そして、その間にある本編は、おとぎ話を現実に落とし込んだような物語。
普遍的であったはずの倫理というものが揺らいでいく。
テクノロジーの先にあるものは、眠り姫か?それとも……。
『人魚の眠る家』は、読んだ人それぞれに違った意見や感想のある小説だと思う。まぁ、そんなことを言ったらすべての小説がそうなのだけど……。この小説の場合は何というか、自分がその立場になって、実際にその時が来てみないとわからない、という側面が特に強い。
共感、感動、同情、嫌悪、自分が感じた気持ちは本物なのだけれど、自分の意見となると段々と自信が無くなっていくような気がする。
そして、読んでいる途中ではどのジャンルに転ぶのかわからない緊張感がある。もちろんミステリーとしても読むことができるけれど、このあたりも読者次第ではないだろうか?
不慮の事故に遭い、眠り続ける少女
そして、彼女抜きで進んでいく物語。
決して変わることのない現状の中で、偶然現れる微かなサイン。そこに救いを見い出し、それこそが生きる目的となっていく母親。
正解のない問いに対して行われる、ほとんど無意味な試行錯誤。これは自己満足なのか?エゴなのか?しかし、いったい誰が彼女を批判できるのだろう?
我が子への深い愛情が、親ならば当然の想いが、やがて周囲との関係に齟齬を生じさせる。
それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。
ただ、それが可能な立場に自分がいたとしたら……。
曖昧になっていく境界線。
どこからが過剰で、どこで一線を越えたことになるのか?
私は中盤にある大きな仕掛けに、物語がひっくり返るような衝撃を受けた。
これぞミステリーという切れ味と、ガラリと登場人物の印象が変わる瞬間。
そこには、矛盾する二つの気持ちの間で引き裂かれるような、苦悩を抱えた一人の人間がいる。
これから起きる問題を先取りするような展開
医療に限らず、あらゆる分野での進歩と発展の急激なスピードは、もはや私たちの心というものを追い越し始めているのではないだろうか?
そして、感情が追い付かないまま、ルールやシステムが変わっていくとしたら、いったいどうすればよいのだろう?
この小説には前半と後半で、繰り返されるまったく同じシーンがある。
ある意味、回り道をしたからこそ同じ決断が別の響き方をする。人の生死にかかわる深刻な場面で使われる「権利」という場違いな言葉が、最後の最後でストンと心に落ちる。
自分ならどうするだろう?
そんな問いが何度も浮かんでくる小説だったと思う。
本を閉じる前にもう一度プロローグに戻り、その時の母娘の様子をあらためて眺めてみると、少年が見た少女の見え方がずいぶんと違って見えてくる。