小路幸也と言えば、大ヒットシリーズ『東京バンドワゴン』が有名だけど、コンスタントに作品を発表し続けていている多作な小説家であり、そのジャンルも横断的。中でも特に私が好きなのは、数少ないこっち系のラインの小説。
なにせ初めて読んだ小路幸也の小説『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で、人の顔が「のっぺらぼう」に見える、というストーリーに心を掴まれているので……。
『猫と妻と暮らす』の時代設定は戦前(らしい)。大学で研究職に就いている(らしい)主人公が家に帰ると、妻が猫になっていた、という所から物語は始まる。
またこの小説には蘆野原偲郷(あしのはらしきょう)というサブタイトルがつけられており、主人公の故郷である蘆野原という土地と、蘆野原に関係する人々が特殊な役割を果たしている。というか、彼らのとても地味な活躍を描いた小説である。
其の郷に住まう者は、為す事を為し。
人に災厄をもたらすモノを祓うことができる主人公と、彼のもとに持ち込まれるいわくありげなモノやコト。
その日起こったことを記した、ほとんど日記のような雰囲気の短い話が、淡々としたペースで続く。ゆったりとした日常。その中に断片的に挟まれる、不思議な出来事、一族の使命、蘆野原の成り立ちなど。
そこで起きる怪異譚には、それぞれ理(ことわり)があって解がある。
しかし、それらは小説の中で詳しくは語られない。
これがアンフェアかというと、そうでもない。
なぜなら、主人公である蘆野原一族の長筋、和野和弥(かずのかずや)。この男、まずもって見えない。そして感じない。しかし血筋ゆえに、為す(祓う)ことはできる。
しかも、一族の他の人々にはどうやら見えているようである。
蘆野原の人々に尊敬されていながらも、軽く小ばかにされているようにも見えて、そのあたりがとても可笑しい。使用人に「そのまま、精進なさるな」というアドバイスまで受ける始末である。
実感、手応え、やりがい、というものは無いが、結果は出す、解決する。
おもしろいのは、読者も見えない感じないという所が共有されている点ではないだろうか?
いくつもの何故?にほぼ答えることなく解決にいたる。
しかし、モヤモヤするかと言われると、個人的にはなんだか清々しい。
確かに余白が多く、語られないことがほとんど。しかし不思議なもので、断片的な情報だけでも、なんだかわかったような気分になれるのだ。
まぁ、そういうものか、と受け入れている主人公と同じ心持ちでいると楽しめる。
各章のタイトルにもなっている「風竜」、「古童」、「屋鬼」などの【コト】も、漢字のイメージをうまく使った言葉遊び的な雰囲気があって、説明されない物事を補ってくれている。
小路幸也の小説にみられるノスタルジーは、もはやテーマにしているというよりは、自然に滲み出てしまうもの、作家性と呼ぶべきものだと思う。
『猫と妻と暮らす』では現在から過去へのノスタルジーというより、現在進行形の失われつつあるものに対する悲しみや、変わりゆく時を受け入れることに対する強さのようなものを感じた。