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巨鯨の海 伊東潤

鯨漁発祥の地

紀伊半島南端の漁村、太地(たいじ)。

多くの人間が鯨に関する仕事に携わる、鯨漁発祥の地。

高度に組織化された職人たちの集団『鯨組』の男たちを中心に、江戸時代の「ここで暮らす限り一生食うには困らない」という空前の豊漁期から、不漁にあえぐ明治期。そして訪れる終焉までを描いた1話完結の全6編。


辺境にあって外界との接点が少なく閉鎖的。

藩の役人が口出しできない程の莫大な富を生む鯨漁という生業。

故にここでは治外法権がまかり通る。


『巨鯨の海』の魅力は何と言っても、共同体における閉じた世界と独自のルール。

おそらくこの小説の中でしか通用しないであろう動機や原因、決断や結末というものがある。

それらを違和感なく受け入れることができるだけの説得力もあり、そしてそれは長い年月を鯨漁に特化してきたことで、結果的にできあがった変則ルールによって支えられている、というのがとても興味深い。

厳しい掟に守られ、同時に縛られながらも生きる太地の人々の姿を、さまざまな角度から見事に切り取ったこの小説には、誇りと希望があり、感動がある。しかしそれだけではなく、社会と組織と個人の縮図を描き、人の心の暗い面を浮かび上がらせた物語でもある。

私が『巨鯨の海』を読んで良いなぁと思ったのは、決して悪い意味ではなく、読後感が微妙という感覚である。それも小説全体でトーンがきちんと統一されている印象を受けた。

そこに私が個人的に付け加える視点、すなわち現代の捕鯨に対する考え方とあいまって、何とも言えない感情を呼び起こす。


組織的に行われる鯨漁の描写は、とても映像的でダイナミック。

海の男たちの惚れぼれするような活躍を描きながらも、数十本の銛が刺さって針の山のようになった鯨の描写や、沈んだら困るので半殺しで岸まで泳がせる漁法など、けっこう残酷なこともきっちりと書いているのは好感が持てる。

鯨漁の歴史、その繁栄と衰退を書く上で、作者の捕鯨に対する個人的な意見が、あまり前面に出てなかったのも良かったと思う。

現代の読者に向けて、捕鯨を題材にエンターテインメントととして提供するのであれば、我々の個人的な価値観に問題の是非を委ねる、というのが正解のような気がする。

まぁ、国際社会における日本の置かれた立場、なんてことを考えながら読むとあまり楽しめないかもしれないけれど……。もしかしたら、興味、関心がある人ほど微妙な気持ちになるというタイプの小説かもしれない。

彼らの生き方を、全面的には肯定できないという読者もいるのかと思うと、価値観や善悪、すべての物事は変わりゆくということに改めて気付かされる。

懸命に生きた人々の営みに、諸行無常の響きを感じるというのは、まことに切ないものである。

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