盤上(卓上)をめぐる6編の短編小説
2013年、将棋のプロ棋士とコンピューターによる対局(5対5の団体戦)がおこなわれ、コンピューターが現役のプロ棋士に初めて勝利したことが大きな話題となった。
私は将棋を指すことはないけれど、大崎善生のノンフィクション『聖の青春』 (将棋) や、小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』(チェス)など、個人的にこの手の盤上遊戯を扱った本が好きということもあって、対局をインターネットで視聴していたところ、小説家の宮内悠介がゲスト出演していて『盤上の夜』という小説の存在を知った。
将棋の世界では2017年の現在、プロ棋士がコンピューターに勝つのはとても困難な状況になっていて、その進化のスピードには驚かされる。
昨年には、選択肢の数や変化の複雑さから、あと10年は人間に優位性があるとされてきた最後の砦、囲碁の世界においても世界王者がコンピューターに敗れている。
ちなみにチェスの世界では1997年にはその状況にあったので、もしかしたら欧米人の方が近年のAIの進化には馴染んでいるのかもしれない。
そんな今あらためて『盤上の夜』を読み返してみると、時間の経過を経たことで、この小説が持っていた近未来的な要素が説得力を増し、さまざまな示唆に富んだ物語としても読めるようになった気がする。
囲碁、チェッカー、麻雀、チャトランガ、将棋。
盤上(卓上)をめぐる6編の短編小説が収録されているが、はじめて読んだ時にいちばんのお気に入りだった『人間の王』というチェッカーを扱った短編が、より魅力的な作品として私の目に映った。
1992年に42年間無敗であったチャンピオンがコンピューターに敗戦。
2007年に完全解(双方が最善の手を指した場合に必ず引き分けになることが証明される)。
コンピューターによってそのゲーム性ごと葬り去られたチェッカー。
実在の人物と史実を扱い、インタビュー形式で書かれた短編。現在の状況を先取りしたような、コンピューターの前に人が敗れた話だけれど、とても人間味があってドラマティック。まったく負けた気がしない読後感が心地よい。
現在、陸上競技で人間と車が競わないのが当たり前のように、人間対コンピューターという考え方そのものが無くなる日が近づいているのかもしれない。
しかし、その過渡期(思っていた以上に短い)でしか見られない最高の対局に立ち会えるのは、ある意味とても幸運なことではないだろうか?
たとえルールを知らなくても、物語として楽しむことができる。
わたしはこの手のゲームを扱った物語の、論理的で数学的なことを語っているはずなのに、なぜか比喩的で抽象的な表現になってしまうところに強く心を惹かれる。