『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』
一枚の紙を何百枚も重ねると、本ってこんなにも厚くなるんだ。そんな当たり前のことを思ってしまった。
おそらく、この小説を読み終えるまでにかかった時間があれば、リーダビリティ―の高い小説なら2、3冊は軽く読めてしまうのではないだろうか?
だからといって、『狗賓童子の島』は決して読みにくい小説という訳ではなく。時間をかけて、隅から隅までじっくり読む価値のある小説である。
そこには、絵の具を何層にも重ねたような透明感と重厚さがある。
幕府の腐敗、飢饉と反乱。天然痘にコレラ。異国船の来航。
多くの史実を扱っているが、ばらけた印象は無く、しっかりと物語に組み込まれている。それでいて歴史を俯瞰しているような感覚も併せ持つ。
執拗なまでの細かな描写、丹念な時代考証は、まるでフィクションとノンフィクションの間に位置するようなリアリズム。
この場合のリアリティは、より苦しく、より貧しい、という意味でもあるけれど……。
大塩平八郎の乱から御一新(明治維新)までの激動の時代
物語の舞台は、流刑の地として遠島の刑(島流し)に処せられた人間を受け入れてきた島、隠岐の島後(どうご)。
小さな離島にも影響を及ぼす時代の変化と、困窮する人々を書くことで、あらためて歴史の全体像を浮かび上がらせる。
内地との間にある、物理的、心理的な距離感がとても印象的である。
父が犯した罪によって、十五歳で島に流されてきた西村常太郎。
彼の境遇と島での立場が、小説全体のトーンに強い影響を与えている。
常に一歩引いた立ち位置。中立的な視線。抑えた感情。
島での暮らしに馴染み、漢方医学を学び、稲作に励む。西村常太郎の清廉な人柄もあって、若者の成長物語という読み方もできると思う。
彼の関わるエピソードの多くは、もう少し話を盛れば大河ドラマにしても通用しそうなものなのだけれど、客観的で抑制の効いた文章が、感情の高ぶりを許さないようなところがある。
むしろ島の人々の喜怒哀楽の方が、はっきりと描かれている。
そうして話が進むにつれて、島に暮らす人々と、島の歴史そのものが主役であるという印象がだんだんと強くなっていく。
小さな島の話ではあるけれど、日本という国の縮図として読むといろいろと興味深い。
幕府の威を借りた役人たちの不正、横暴。
剣の達人や英雄のいないリアリズム小説に於いては、登場する悪人が典型的であればあるほど恐ろしく、無力感すら感じる。
責任を取るべき人間を辿っていくと、上に行くほど顔が見えなくなる腐敗という仕組み。
この物語から教訓を得たり、何かを学ぶとすれば、それは個々のエピソードの中から、読者がごく個人的な理由ですくい上げることが必要なのかもしれない。
というか、そうせずにはいられない。そんな力を持った物語である。