独自のスタイルを確立した時代小説
歴史小説、時代小説と呼ばれるジャンルの小説をあまり読んでこなかった私が、いまでは人並み程度には読むようになったそのきっかけが、和田竜のデビュー作『のぼうの城』である。
武州忍城。戦国合戦史上、特筆すべき足跡を残した城
天正十八年。
天下統一をほぼ手中に収めた豊臣秀吉に「すり潰せ」と言われた城、忍城(おしじょう)。
たやすく落とせるはずの忍城を、二万の軍勢で攻め寄せるは、石田三成。
守るは城代、使えないけど愛される男、でくのぼう成田長親(なりたながちか)と、アクの強い重臣と農民たち。
絶対に負けるとわかっている戦、そして実際に負けた戦に、彼らはいったいどのようにして勝ったのか?意味不明かもしれないけど、このあたりが最大の魅力だと思う。
初めて『のぼうの城』を読んだ時にびっくりしたのは、ナレーション的に挿入される現代からの視点である。
作家自身が語り手のように見え、参考文献を本文の中に登場させ解説までするという、自分の手の内をすべて明かすような手法。
歴史資料や参考文献からの引用、注釈の多用。ここが好き嫌いの分かれるところかもしれないが、歴史に詳しくない私は驚きはしたものの、まったく気にならなかった。
むしろ戦国時代に生きる登場人物たちの、現代の感覚では理解しづらい価値観や、やたらと演劇的な言動の数々も、前後に説明が入ることで「なるほど」となって、より楽しめたような気がする。
武州忍城=現在の埼玉県行田市。米二十万石=およそ三万トン。
恥ずかしながら、私はこれらの説明を親切と感じる読者である。
しかし、和田竜の小説は多くの読者を獲得していることからも、そう感じているのは自分だけでは無いはず(と思いたい)。
私はもともと、小説の中に注釈、訳注などが入ることをあまり好まないけれど、『のぼうの城』は引用と注釈を多用しながらも、小説を読むリズムを損ねない。物語の流れを止めることなく、作家の解釈(個人的な意見)がうまく溶け込んでいる。
これは実はとてもすごい事なのでは?と思ったりする。
痛快無比なエンターテインメント
登場人物も、馬鹿という言葉が愛おしく感じてしまう程に個性的、というか変人ばかり。
思わず二度読みしたくなるカッコいいセリフの数々。
敵味方に関係なく卑怯であることを嫌う戦国の男たち。
『のぼうの城』を読み終えて、いちばん好きになった登場人物が、実は敵である石田三成というところも、私にとってこの小説の大きな魅力の一つである。
戦記を記すということの意味。
開城にあたっての条件詰め。
何気ない手順や決まりごと、そして礼節。
読んでいて感じる清々しさは、意外と知らなかった戦国時代独自の価値観によって支えられているということがわかる。
当時の男たちの美意識や死生観。
そこにはルールと勝敗に至るロジックがあり、まるでフェアプレーを求められる競技のような雰囲気すらある。