海が与えてくれる恵み
鋭く突き出た岬。
複雑に入り組んだ岩礁のつらなる海岸。
背後にある険しい山。
舞台となるのは、常に飢えと隣り合わせにある貧しい漁村。
磯で得られる魚介類。痩せた畑からのわずかな収穫。
冬になれば海は荒れ、漁に出られない日も続く。
他の村へと向かう難路がまた、この村を孤立させている。
そして、これらの地理的条件こそが小さな村が抱える大きな秘密でもある。
この小説の魅力は、閉鎖的な小さな世界とここだけのルールがあることではないだろうか?
現代の感覚では理解しづらい価値観そのものに、私は強く惹かれた。
『子供たちを飢えさせるな』
家族のため年季奉公に身を売った父の代わりに、一人で海に出て、村の行事にも参加するようになった伊作。
はじめて大人として扱われたことに喜びを感じると同時にのしかかる責任。時に自分の非力さを恥じ、時に自身の成長を誇らしく感じる。
弟と妹におなかいっぱい食べさせたいという想い。
彼の体験を通して、村という共同体の仕組みとその独特な風習についての、読者に対する説明にもなっている構造が巧みである。
優先順位は、家族を飢えさせないこと。自分が死なないこと。
そこでは、物事は驚くほどシンプルになる。
目的がはっきりしているということは、当然やるべきことも決まってくる。
人としての尊厳などは二の次で、ここには慎ましく健気に生きる人々の清貧などと言うものは無い。
人々はその訪れを願いながら生きている。
村の人間の生き方を左右する、そしていつ来るのかもわからない救済。
それは祈りと儀式によってもたらされる。
この村の行事は、ただの古くから伝わる風習、先祖代々から脈々と受け継がれてきたもの、そんな雰囲気とは少し違う気がする。
実際のところはもっと後の時代にできたもの、とある現象に特化してアレンジが加わった結果ではないだろうか?
個人的にそこに宗教臭はまったく感じられなかった。
村人の念が込められているいうか、とても呪術的ですらある。飢えに対する恐怖、剝き出しの欲望、罪悪感、これらを包みこむ方便としての信仰という印象が強い。
祈りによって浄化する。
誰かの不幸が、他の誰かの幸福になるということが、まるで自然の節理のようにも思えてくるから不思議なものである。
個人よりも優先される共同体。
幸か不幸か、リアルに想像できる今だからこそ、この小説の中で書かれている絶望が理解できる。
善悪は断定せず、好き嫌いも含め、すべては読者に委ねられる。想像させるという意味では最大限の効果を発揮しているであろう、抑えられた筆致。
時に物語るよりも、淡々と事実を積み上げただけのほうが恐ろしい場合がある。
そこに救いはあるのか?
わからない。
そこから教訓を得られるのだろうか?
わからない。
しかし、この物語には強く惹きつけられる何かがある。
読み終えてから、そのことをずっと考えている。
それは、とてつもなく単純なもののような気がするのだが、どうなのだろう。