翻訳と通訳。近くて遠い、二人の距離。
二人の男女が大学のキャンパスで出会い、外国語を生業とすることを目指すようになってから、それぞれが重ねた数十年という歳月。
『ロゴスの市』は一応、恋愛小説ということになっているけれど、男女の恋愛を直接的に書いている部分はわりと少ない。
それでいて、たしかに恋愛小説だったと思える。
では、どうやって核のところを書いているのか考えてみると、二人の登場人物の生き方、その共通点と違いを書くことによって。
それから一回りして、やっぱり二人が持っている同じ何か、を通してだろうか?
言葉でつながる二人の同志
男は翻訳家として。口下手で慎重な弘之は、ひとりで内に籠って一つの単語、一つのセンテンスと長い時間をかけて向き合う。
女は通訳を選択。常に一足先を歩いているせっかちな悠子は、言葉にスピードと即興を求められる同時通訳者として、外の世界へ向かう。
英語を日本語に変換するという行為。
私のような素人からすれば同じジャンルに見える、翻訳と通訳。実は必要なスキルがまったく違うという二つの職業の、この「近くて遠い」という構造が、二人の間にある感情や、距離感を表すために使われているところが絶妙である。
二人をつなぐのは、いつまでも尽きない悩みであり喜びでもある、言語という無限の世界。細く、頼りないが、それでも運命の糸としての役割を果たし続ける。
問題はその糸は何色なのか?ということなのだけれど……。
好きなことを仕事にできた人間、天職を見つけた人間。それはとても羨ましいことではあるけれど、代わりに多くのものを諦め、犠牲にしなくてはならない人生なのだとすると、それは良いことなのか、悪いことなのか、私にはよくわからない。
自由奔放でミステリアス、それでいてはっきりと現実的。そんな女の選んだ愛の形は、個人的には納得できないけれど、救われる、とでも言えば良いのか。
年月を積み重ねることでしか、理解できないこと。あの時こうしていればという後悔。人の弱さに現実の厳しさを突き付けると同時に、やさしく包み込んでもくれる。ロマンティックでなんとも切ない物語である。
また、英語と日本語の違いはもちろん、翻訳家の苦労話やあるある、かなりテクニカルな部分にも踏み込んでおり、お仕事小説という側面でも存分に楽しむことができた。
ついでに
『ロゴスの市』の作中には、実在する作家ジョンパ・ラヒリの小説の翻訳権をめぐる架空のエピソードがある。そして現実にラヒリの短編集『停電の夜に』を訳した、翻訳家の小川高義が文庫本の解説を書いているという、なんともユニークなおまけ付きなので海外文学好きにもおすすめ。
『ロゴスの市』の次の一冊としておすすめは、やはり『停電の夜に』だろうか。