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マチネの終わりに 平野啓一郎

余韻に浸る幸福な時間

第一章からすぐに引き込まれ、時が過ぎるのを忘れてしまった。

後半、残りのページ数が少なくなってきたことに気が付くと、今度は少しでも長くこの物語の中に留まっていたいと思い、時間をかけゆっくりと読み進めるようになる。

特に最終章は、どのようにして幕を閉じるのか、緊張しながら一行一行を噛みしめるように…。

そして、ほとんど完璧といっても過言ではない素晴らしいラスト。

それにしてもこの深みは何だろう?

この息を呑むような美しさはいったいどこからやってくるのだろう?

そのあたりの秘密を知りたくて、もう一度読み返したくなる。

そんな素敵な小説だった。

スランプに陥ったギタリストと、PTSDのジャーナリスト


主人公の二人。蒔野聡史はクラシックギターの世界で活躍する天才肌のアーティスト。小峰洋子はフランスの通信社の記者で、著名な映画監督を父に持つ、美しく聡明なジャーナリスト。

設定としては何だかハイレベル過ぎて、個人的に親近感の持てる登場人物とは言えないけれど、不思議なことに読んでいるといつの間にか彼らに共感し、感情移入までするようになってしまう。

自分とは遠いところにあると思っていた美や哲学、そして世界のこと。そんなものや場所がとても身近に感じることができたのが驚きであった。

運命という言葉が自然と浮かんでくるような大人の恋愛。

それでいて思春期のような情熱。

すれ違いあり、恋敵あり、ストーリー展開としては王道なのだろうけど、恋愛小説が苦手な私でも心の底から楽しむことができた。


それから、主人公の二人の切ない恋愛とは違った意味で、胸を締め付けられることになる登場人物が作中に何人かいる。

持たざる者?こちら側の人間?とでも呼べばいいのか。彼らの気持ちも少しわかってしまう自分がいる。

ラブストーリーにおける障害でありながら全面的には否定できない。自分自身の弱さや狡さを見せられているようで、何とも言えない居心地の悪さを覚える。

このあたりもストーリーテリングの巧みさと言える部分であろう。

あったかもしれない未来と、変えることのできる過去

ほんの少しのすれ違い。タイミングを逃したことによる取り返しのつかない出来事。

その後の人生をどう生きるのか?

若い頃とは違う価値観。

変わったことと変わらなかったこと。

小説の中で何度も繰り返される、過去に対する考え方は、私がいままで全く想像もしなかった認識の仕方であり、なんだか勇気をもらったような気がする。

自分にとって都合の良い美化でもなく、自己嫌悪に陥る後悔でもない。

過去というものに、個人的に向き合うためのヒント。

物語を読み終え、現実の世界に戻ってきてからも、何かしらの精神的、身体的に影響を受けたように感じられるのは優れた小説の証ではないだろうか?



リーダビリティとの両立

『マチネの終わりに』は平野啓一郎の作品の中でも読みやすさでは現時点で一番かもしれない。

音楽に於ける深みと広がり。長きにわたって幾度となく聴き返されるべき豊富さと、一聴の下に人を虜にするパッとした輝き。人間の精神の最も困難な救済と、せわしない移り気への気安い手招き。

第二章 静寂と喧躁


これはギタリスト蒔野聡史が理想とする演奏のスタイルである。そして、音楽を小説と入れ替えてもそのまま通用しそうなこの理想が、まさにこの物語の中、文章によって成し遂げられているのではないだろうか?

読みやすくて面白いのに、文学であるということは可能であり、平野啓一郎という作家には今後も、エンタメ、文学、ジャンルを超えて読者を満足させる、そんな稀有な小説を期待してしまうのである。

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